「民数記」をひと言で説明すると、
愛ある矯正と訓戒の書。
民数記のアウトライン
旅の行程による分類
- 旅のための準備(1~14章)
- 荒野の放浪(15~20章)
- カナンに向かって(21~36章)
世代に見る分類
- 古い世代の崩壊
- 人口調査(1~4章)
- 律法の追加(5~10章)
- 民の不満(11~12章)
- 民の不信仰(13~20章)
- 新しい世代の出現
- 荒野の旅(21~25章)
- 人口調査(26~27章)
- ささげ物の規定(28~30章)
- 土地の配分(31~36章)
民数記の著者・背景
旧約聖書のはじめの5つの書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)は、
ヘブル語で「トーラー(Torah)」と呼ばれ、もともと一つの書としてモーセが記したものとされている。
5つの書簡をそれぞれ切り離して考えてしまいがちだが、著者はモーセ五書全体で伝えたいことがある。
民数記の著者(Who)
- モーセ
エジプト生まれのレビ人。
父・アムラム、母・ヨケベテ、兄・アロン、姉・ミリアム。
民数記の時期(When)
- エジプトを出て2年目(民数記 1:1)から、荒野での40年の出来事。
民数記が書かれた目的(Why)
- カナンの地に入るイスラエルの民(出エジプトを経験していない第二世代の人たち)に向けて、なぜカナンの地に入るのか、どのような約束があるのかを伝えるために書かれた。
書名(Title)
「民数記」という書名は、70人訳の「数字」「人口」という意味の書名から来ており、2回の大規模な人口調査が行われたことに由来する。
ヘブル語の書名は「ヴァ・ミッドバル」:「荒野にて」。
民数記は荒野を舞台にした、シナイからモアブに至るまでの40年間の記録。
民数記から学んだこと
リアルに考えてみる
イスラエルの民
幕屋の周りの宿営
カデシュ・バルネアでの不信仰
13章〜、カデシュ・バルネアにて民が不信仰に陥る事件があった。
12人の偵察隊のうち、ヨシュアとカレブだけが「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」(13:30)と言った。
彼らは非現実的で無鉄砲なのではなく、神が共にいて戦ってくださるという信仰があった。
他の10人は恐れおののき、高い壁のある都市の巨人について語って民の戦意を挫いた。
彼らは主に信頼せず恐れていたために、約束の地に入る資格を剥奪され、荒野の地で死ぬことになった。
私たちも、人間的な現実に捕らわれて悲観主義になることもできるし、
ヨシュアとカレブのように神にあって楽観主義になることもできる。
新約聖書からみる民数記
コリント人への手紙では、民数記の出来事を「戒めの実例」であると語っている。
これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
第1コリント 10:6,11
主は私たちの不信仰を確かに訓戒されるお方。
私たちが偶像を礼拝し、貪り争い、姦淫によって傷つき、不平を言って互いの平和を奪わないように。
彼らのうちのある人たちのように、偶像礼拝者になってはいけません。
彼らのうちのある人たちがしたように、淫らなことを行うことのないようにしましょう。
彼らのうちのある人たちがしたように、キリストを試みることのないようにしましょう。
彼らのうちのある人たちがしたように、不平を言ってはいけません。
第1コリント 10:6~10
現代を生きる私たちにも、この神の命令は与えられていることを胸に刻みたい!
今の私に適用される訓戒としての神さまからのメッセージ。
背筋が伸びる思いです。
- 輪郭的聖書/ロバート・リー
- 旧約聖書の概説/ヘンリエッタ・C・ミアーズ
- 新聖書ハンドブック/ヘンリー・H・ハーレイ
- バイブルガイド/マイク・バーモント
- ハーベスト・タイム『60分でわかる旧約聖書「民数記」』
- 民数記概説/聖書基礎研究会 S.W.
※ 聖書のみことばは「聖書 新改訳2017」から引用しています
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最後は申命記。1つの区切りとなる書簡です。
書簡まとめは読むだけでもエネルギーを使いますよね。賛美歌を聞いてリフレッシュ。もう一踏ん張り!