ホームスクーリング聖書・クリスチャン向け

クリスチャンがホームスクーリングに取り組む4つの理由

りょう
りょう

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  • ホームスクーリングに取り組む目的ってなに?
  • ホームスクーリングは聖書を土台にしている考え方なの?

私たちはホームスクーリングで子育てに取り組みます。

すると日本ではなかなかマイナーなので、ほぼ必ず「どうしてホームスクーリングするの?」と聞かれる。

これまでぱっと思い浮かんだものを答えていましたが、よく整理して説明できるようにしたいと思いました。

そこでこの記事ではクリスチャン夫婦ホームスクーリングに取り組もうと決めた4つの理由について書きました。

最後までお読みいただければ、なぜ子育てにおいてホームスクーリングが最も適していると言えるのかがわかります。

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主を愛することを“よく”教え込む

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい

私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。

これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。

申命記 6章5〜7節

心を尽くし〜主を愛しなさいという聖句はクリスチャンなら誰もが知っている御言葉ですね。

新約聖書でイエス様が聖書のまとめとして引用されています。

しかし申命記ではそこで終わらず、続けて「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。」と命じられています。

御言葉の解説

ではよく教え込みなさいとは具体的にどの程度でしょうか。

それは親子が家にいるときも、外に出かけるときも、朝起きてから夜寝るときも、です。

つまり24時間365日、機会があるたびに語るように命じられています。

それほど大事だと言われていることこそ、主を愛するということなのです。

もちろんイスラエルの民は子どもへ生活の知恵や職業訓練などさまざまなことを伝えたでしょう。

しかし神様が親に命じたことは「主を愛することの素晴らしさをいつもいつも教えなさい」でした。

当時のイスラエルの状況

主が申命記の命令をお語りになったとき、イスラエル民族の全家庭がホームスクールだったはずです。

なぜなら荒野での放浪が終わるころでしたから。

つまりイスラエル民族の親たちは「はたして学校に送り出すべきか。ホームスクールで私たちが教えるべきか。」と悩まなかったはずです。

もちろん近所の親たちと子育ての協力はしたでしょうが、当然親が子どもに教える必要があると受け取ったでしょう。

このことからこの御言葉が語られた状況では、ホームスクール以外の選択肢はなかったのです。

私たちへの適用

私たちはこの御言葉の原則に従おうとすると、ホームスクールが自然な形・一番取り組みやすい形式になると考えています。

なぜならクリスチャンである親が子どもと過ごす時間を多いので、主について教える機会を多く持つことができるからです。

もちろん日曜日の教会や日曜学校があります。

しかし24時間365日教えていくと考えるとそれだけでなく、日々の勉学においてどのような科目を学ぶときも神様について教えていくことを目指したい。

そのため先生も同級生もノンクリスチャンの学校へ送りだすのではなく、ホームスクールという形式を取ることが、主が命じた姿に近いと思うのです。

聖書を土台とする教育をまず第一に求める

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

マタイの福音書 6章33節

私たちは人生の歩みにおいて、聖書が土台になることを第一したいと願っています。

そしてそれは子どもの教育においても例外ではありません

何を第一に求めていくのか

私たちはよく友人からホームスクールについていろいろな懸念を投げかけられます。

学力は大丈夫なのか?
友達が作れないじゃないか?
運動会や修学旅行を経験できなくてかわいそうではないか?

などなど。

こういった疑問は批判というより、私たちのことをよく気にかけてくださってるのだなぁと感謝しています。

そんな時まずお伝えしたいことは、私たちは聖書を土台とする教育をまず第一に求めているということです。

もちろんいただいた疑問がどうでもいいとは思いません。

親としてそれらの疑問に対して研究結果を調べ、考え、1つ1つ適切に答えられるようにしなければなりません。

しかしそれらの懸念や疑問がなくならないとしても、私たちは聖書を土台とする教育をまず第一に求めてホームスクールを選択しているのです。

聖書を土台とした教育とは

神学校に進むための勉強ではありません。

あらゆる学問を通して、神様のすばらしさを学ぶことを目指しています。

たとえば数学を学びながら神様の定めた秩序を学び、理科を学びながら創造主の業を学ぶ。

国語や英語から言語について学びながら主のみことばを深く理解する。

祈ってから勉強を始める。勉強の途中で祈る。

家族の一員として家事を手伝うことで、神の家族のあり方を学ぶ。

こんなふうに神様を学ぶことと勉学を分離するのではなく、勉学を通して神様を学びたい

また勉学以外の生活においても神様を学ぶ。

これが私たちが子どもに与えたい聖書を土台とした教育です。

そしてこのような教育を第一に目指した結果、ホームスクーリングが適していると考えました。

主を恐れることは知識の初め。
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。

箴言 1章7節

神様に愛されていると知り人格を形成していく

わたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。

イザヤ書 43章4節

私たちは教育において知識の習熟だけでなく、人格形成も重要視しています。

なぜなら神様との深い関係と健全な人格があってこそ、能力や知識を正しく用いることができるからです。

そして人格形成において大きな影響力を持つのは、「私は愛されている」と実感し確信すること。

少人数教育のホームスクーリングは、この価値観を大切にしやすい環境を作れます

その子をもっともよく知る親が、その子にあったペースで、その子にあったタイミングで、必要な内容・言葉を届けられるのがホームスクーリング。

幼少期から日常生活のなかで「あなたは神様から、またお父さんお母さんから愛されているよ」と伝えていくことができる。

もちろん学校に送り出したからといってできないわけではありません。

しかし健全な人格の成長に必要なものを与える機会を作りやすいのは、ホームスクーリングだと考えています。

神様に与えられた賜物を発見し磨く

しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。

コリント人への手紙 第一 12章18節

コリント人への手紙第一の12章からわかることは、神様は1人1人に異なった能力や資質、賜物を与えてくださっているということです。

それはまるでからだの中にそれぞれの部分があり、それぞれの役割があり、それぞれの能力があるように。

ホームスクーリングは、この賜物を発見し、磨くことに長けている方法だと考えています。

1人1人に賜物が与えられる理由

たとえば数学を解くのが好きな子もいれば、文学を読み書きするのが好きな子もいます。

運動能力に恵まれている子もいれば、音楽に打ち込める集中力を持つ子がいます。

プログラムを組んでモノづくりに熱中する子もいれば、子どもに寄り添い子守りすることに喜びを覚える子もいます。

新しいことにガンガンチャレンジする子がいれば、決められたことを淡々とこなすのに長けた子がいます。

このように神様が1人1人に異なる賜物を与えているのは、1人1人がまるでからだの各部分であるように、それぞれの賜物を活かして、他の部分と協力して1つのからだを支えていくためです。

そして自分には何が与えられ何が与えられていないのか、親子がゆっくりと時間をかけて考え、その子の賜物を発見し、注力して磨いていけるのは、ホームスクーリングならではでしょう。

仕えるために賜物を磨く

世の中では仕事の希少性や難易度に応じて報酬があがります。

そのため一般的にはより高い報酬の仕事につけるように子どもの能力を開発していきます。

たとえばAI開発のニーズが高いので小学生からプログラミングを教えよう!などでしょうか。

しかし神様は報酬が高い仕事につくために賜物を与えているわけではありません

もっと言えばその人自身が豊かになるためにではないのです。

神様が1人1人に異なった様々な賜物が与えられているのは、お互いが仕えあい、お互いを支えていくためでしたね。

この目的を見失っては賜物を適切に用いることはできません

しかし大人ですらよく忘れがちです(私も…)。

だからこそ日々の学習のなかで、主からの賜物に感謝し、この賜物が与えられた目的をよく確認しながら、将来どのように賜物を用いて仕えていくか考えていく

ホームスクーリングはこの考え方にそって学習しやすい方法だなと信じています。

それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい

ペテロの手紙 第一 4章10節

ホームスクーリングを選ぶのは御言葉に土台を置くため

ホームスクールに取り組む理由は…
  • 子どもにはなによりもまず、いつも主を愛する幸いをよく教えるため。
  • 家庭生活や勉学を通して神様のすばらしさを味わえるようにするため。
  • 知識習得だけでなく人格形成に重きをおくため。
  • 賜物が与えられた目的をよく確認し、よりよく磨いていくため。

その子を最もよく知る親が、本人の状況をよく把握して、知識だけでなく人格の成長にも目を向け、神様を中心にして日々学び、勉学を通してさらに神様の愛を教えられていく。

これが私たちがホームスクーリングを行いたいと願う理由です。

もちろん学校へ送り出しても上述したことを重要視して子育てできるでしょう。

それにホームスクーリングすれば万事OK!というわけではありません。

ただ私たちは信仰や想いを子どもによく伝えたいと思った時、ホームスクーリングが最もやりやすい方法だと感じました。

もし少しでもいいなと思ったら、ホームスクーリングに取り組むことを祈ってみてください。

心からオススメして!

God bless you!

 私の民よ 私の教えを耳に入れ
 私の口のことばに耳を傾けよ。
 私は口を開いて たとえ話を
 昔からの謎を語ろう。
 それは 私たちが聞いて 知っていること。
 私たちの先祖が語ってくれたこと。
 それを私たちは 息子たちに隠さず
 後の時代に語り告げよう。
 主の誉れを
 主が行われた 力ある奇しいみわざを。
 主は ヤコブのうちにさとしを置き
 イスラエルのうちにみおしえを定め
 私たちの先祖に命じて
 その子らに教えるようにされた。
 後の世代の者 生まれてくる子らがこれを知り
 さらに彼らが その子らにまた語り告げるため
 彼らが神に信頼し
 神のみわざを忘れず
 その命令を守るために。
 先祖たちのように
 強情で逆らう世代
 心定まらない世代
 霊が神に忠実でない世代とならないために。

詩篇 78章1〜8節

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この記事を書いた人
りょう

某都立大学院で化学専攻。大手企業で5年間最先端研究開発に携わった後、日立系IT企業で営業として活動中。

愛妻と娘の3人暮らしでホームスクール中。
将来は子ども食堂の運営、クリスチャンスクール、異世代間シェアハウスの設立を目指しています。

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