こんな疑問をお持ちの方におすすめの記事!
クリスチャンはお金についてどのように考えたらよいのだろうかと悩んでいませんか?
実は聖書からクリスチャンが持つべき姿勢やお金の取り扱い方の原則を知ることができます。
私はROSE Publishingが出版した「聖書はお金について何と言っているか(原題:What the Bible says about Money)」を読み、お金に関する原則を学ぶことができました。
そこで今回はクリスチャンが本当に求めるべきものやお金に対する姿勢について記事にしました。
この記事を読んでいただければ、クリスチャンが学んでおきたいお金に対する考え方の基本がわかります。
私たち夫婦はプロテスタントのクリスチャンです。信仰について気になる方はこちらの記事を読んでいただけたら嬉しいです。
神さまはお金ではなく忠実さを重要視する
クリスチャンがお金について考える時に心に留めておきたいことがあります。
それはお金とはほとんどの人にとって重要な存在ですが、神の目から見ればあまり重要ではない存在、いわば小さなことだ、ということです。
これは「お金なんて気にもとめず管理しなくて良い」ということではありません。
お金はあくまでツールであり、お金よりも重要なことがあり、その重要なことのためにお金を使うのが幸いである、という意味です。
その神が重要視していることは、私たちがこの小さなことに忠実であるかどうかです。
チャイナ・インランド・ミッション(現:OMFインターナショナル)の創立者ハドソン・テーラーはこのように言っています。
些細なことは些細なことでしかない。
しかし些細なことに対する忠実さは重要なことだ。
(Little things are little things, but faithfulness with a little thing is a great thing.)
イエス・キリストは貧しいやもめがその貧しいなかでも神さまにわずかなお金を捧げた心を称賛しました(マルコ12:41-44)。
このことからイエス・キリストは、捧げた金額や捧げることを称賛したのではないことがわかります。
やめもが神さまを愛しているがゆえに捧げたので、その神さまを愛する心を喜ばれたのです。
このように「神さまが重要視するのはあなたが持つ忠実さや心である」ということが、クリスチャンがお金について考えるときの前提であることを覚えておきましょう。
私たちが求めるべき真の価値ある宝
イエス・キリストは、この世の宝ではなく天の宝こそが、私たちが求めるべき真の価値ある宝であると言いました(マタイ6:19-21)。
なぜなら天の宝は、この世の宝のように盗まれたり価値を失うことがないからです。
そしてそれは私たちが神さまのために、心から喜んで何かを捧げる時に天に蓄えられます。
お金自体はこの世の宝であり、小さなことです。
しかしそのお金をどう用いるかは天に宝を蓄えることになる大きなことなのです。
また私たちがお金の使い道について神さまへの忠実さを示す時、私たちの人生におけるすべての金銭的必要を満たすことを通して、神さまが私たちへの忠実さや愛を示してくださいます。
神さまは私たちをこれらの言葉で安心させてくださいます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
マタイ6:33
このように神さまは天に蓄えられない、いずれ消えゆくお金を集めるのではなく、それを活用して決して失うことがない天の宝を求めるように勧めています。
お金に対する姿勢を聖書から点検する
お金を喜んで神さまのために使うことを考えるうえで、あなたのお金に対する姿勢を点検しましょう。
なぜなら人はこれまでの経験や育ちに基づいて、お金に対するいろいろな姿勢を持つからです。
クリスチャンはお金や所有物に対する自身の考え方や感覚を、聖書に照らし合わせて評価する必要があります。
例えば以下のポイントについてあなたはどのように考えるでしょうか。
この点検表は「正しいから良い。偏っているから悪い。」という優劣の評価には使いません。
「自分の感覚や考えは、具体的に聖書と乖離していないだろうか?」という点検のために使いましょう。
お金に対して偏った姿勢を持っていると、お金を使うことを嫌う極端な節制をしたり、後先を省みない散財をしたりします。
しかしバランスのとれた聖書の価値観を持つことで、あなたがお金に支配されることなく、神さまのために用いることを喜べるようになります。
このように天の宝を求めて、お金を使うことを喜ぶ心を持つためには、聖書の価値観からバランスの取れた姿勢を持つことが大切になります。
いつの時代にも共通する原則を求める
お金に対する姿勢を聖書から学ぶ場合、具体的な基準ではなく、原則を求めましょう。
なぜなら時代や文化によって、具体的に何を喜べるかは変化するからです。
先に見たように神さまはお金を捧げる行為ではなく、捧げるにいたるクリスチャンの心を喜んでくださいます。
そのため一律にこうすべきだという具体的な基準が書かれているわけではありません。
例えば車を持つことは、ある時代では「お金持ちの贅沢」ですが、現代では「適切な買い物」に含まれるのではないでしょうか。
現代でも都心では「贅沢品」かもしれませんが、田舎では間違いなく「生活必需品」です。
このように同じ行為でもその時代、文化、価値観によって抱く印象は変化します。
つまりその人の心に違いが出てくるのです。
一方でどの時代、文化、価値観においても共通する原則は存在します。
その原則を聖書から学ぶことで、神さまのためにお金を使うことを喜べる姿勢が身につくのです。
そして喜んで捧げる心を持って使うお金は、神の栄光のために用いることができる素晴らしいものなのです。
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
コリント人への手紙 第一 10:31
小さなことに忠実になるという大切なことに取り組もう
今回クリスチャンがお金に対してどのように考えるかという話題を取り扱ったのは、実はこのブログを読んでくれている私の友人のためです。
私の友人がこんなことをつぶやいたのです。
「クリスチャンとして信仰を持ったものの、お金について聖書からどう考えたらよいのだろう…」
「なんとなく信仰を持つ前とは違う気がするんだけど、具体的にどうやって取り扱ってよいのかわからないんだよねぇ…」
そしてそんな声を聞いた矢先、ROSE Publishing出版の「聖書はお金について何と言っているか(原題:What the Bible says about Money)」というパンフレットを手に入れたため、今回の記事を書きました。
この疑問はクリスチャンとして生きようとしているからこそ出てくる疑問です。ステキだと思います。
私たちクリスチャンはお金よりも大切なことがあると知っていますが、この世界に生きる以上お金を必ず取り扱います。
だからこそタブーとして話題に挙げないのではなく、きちんと聖書から原則を抑えて取り扱うべきだなと考えています。
そのためこの「聖書はお金について何と言っているか」シリーズを通して、私の友人をはじめ同じような疑問を持つクリスチャンが、お金に対して聖書の価値観を持つ助けになればと願っています。
何か1つでも益になりますようにと、心からお祈りしてます。
God bless you!
【こんな記事もおすすめ】
聖書から価値観を学ぶためには、たくさん読む、より詳細に読むことがおすすめです。
賛美歌も聖書の価値観をもろに反映した曲が多いため、日ごろから聴くのがおすすめです。