聖書・クリスチャン向け

他者に与えることは私たちを幸せにする〜聖書はお金についてなんと言っているか4〜

りょう
りょう

こんな疑問をお持ちの方におすすめの記事!

  • クリスチャンはお金についてどう考えたらよいのだろうか?
  • お金をどんな風に使ったらよいのだろうか?
  • 惜しまずに与えたら自分が貧しくなってしまわないだろうか心配…

クリスチャンはお金についてどのように考えたらよいのだろうかと悩んでいませんか?

実は聖書からクリスチャンが持つべき姿勢やお金の取り扱い方の原則を知ることができます。

私はROSE Publishingが出版した「聖書はお金について何と言っているか(原題:What the Bible says about Money)」を読み、お金に関する原則を学ぶことができました。

そこで今回はお金を与えることがいかに私たちを自由に、また豊かにしていくかについて記事にしました。

この記事を読んでいただければ、健全な動機で他者に与えたいと思えるようになります。

 

私たち夫婦はプロテスタントのクリスチャンです。信仰について気になる方はこちらの記事を読んでいただけたら嬉しいです。

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与えることで自由になる

私たちがお金を握りしめるのをやめる時、私たちの人生を縛っていたお金から自由になることができます。

他者に与えることで、私たちは貪欲の破壊的な道から解放されていくのです。

もしあなたが物質主義やお金を愛することから開放されたければ、まず与えることからはじめましょう。

大きなことをせずとも、まず友人を夕食に招待する、誕生日に花を贈るなど、小さな”与える”からはじめればよいのです。

以下の聖句から貪欲が人にとって害をもたらすことを学びましょう。

そして人々に言われた。

「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

ルカの福音書 12:15

  金銭を愛する者は金銭に満足しない。

  富を愛する者は収益に満足しない。

  これもまた空しい。

伝道者の書 5:10

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。

そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。

マタイの福音書 16:26

与えることは私たちの敬虔な責務である

過去の記事で、私たちが持っているお金や財産の真の所有者は神さまであることを確認しました。

神さまは私たちが他の人を愛し、善を行うことができるように、お金を預けてくださっています。

与えることで私たちの人生が豊かになるという神さまからの恵みです。

それと同時に、与えるためにといただいた物をふさわしく使う責務が私たちにはあります。

私たちはつい「私たちのお金をどのように神さまに捧げるべきだろう?」と考えがちです。

しかし本当に問うべきは「神さまのお金をどのようにして用いるべきだろう?」です。

与えることは恵みであり、同時に管理者である私たちの敬虔な責務なのです。

それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。

おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』

すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』

こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

マタイの福音書 25:41〜46

善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。

そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。

へブル人への手紙 13:16

与えることで私たちが主を信頼するようになる

お金を集めることに固執しはじめることは、神さまよりもお金に信頼を置いているサインです。

反対に与えることは神さまに目を向け信頼する助けとなります。

それにより神さまを優先していくことや私たちの必要を神さまが満たしてくださると頼ることにもつながります。

以下の聖句から私たちの必要はすべて神さまが満たしてくださると信頼しましょう。

なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。

今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。

ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

マタイの福音書 6:28〜33

与えることは主に従う重要な部分である

イエス・キリストに従うとは、天で祝福をいただくために地上で捧げることだと聖書は言います。

過去の記事で確認した、お金を愛し追求するのではなく、神さまを愛し仕えていくことのことです。

クリスチャン作家のRandy Alcornはこのように説明しています。

「私たちがこの地上でより多くを持とうとするのは、私たちがこの世の寄留者であることを忘れてしまうからだ。私たちが受け継ぐべき物は確かに存在するが、この地上には存在しない。」

物質主義や目に見える物だけがすべてであるという価値観ではなく、私たちの受け継ぐべきものは天にあるという聖書の価値観を、お金について考えるときには覚えておきたいですね。

以下の聖句から、この世の財産に固執しないことは主に従うことであると学びましょう。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。

ルカの福音書 14:27,33

求める者には、だれにでも与えなさい。あなたのものを奪い取る者から、取り戻してはいけません。

人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。

ルカの福音書 6:30,31

与えることは特権である

私たちがいただく祝福は多くても少なくても、私たちは神さまのご計画の一部を生きています。

そのためお金を与えることは、神さまの業に加わる方法の1つです。

神さまがあなたを祝福するので、あなたも他の人を祝福することができます。

以下の聖句から与えることは恵みであり、幸いな特権であることを覚えましょう。

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。

私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。

コリント人への手紙 第二 8:1〜4

 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。

使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。

彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。

使徒の働き 4:32〜35

与えることは愛からくる

聖書は与えることは愛することであると言います。

与える愛について、宣教師のAmy Carmichaelはこのような言葉を残しています。

「あなたは愛がなくても与えることができます。しかし与えることなしに愛することはできません。」

神さまは驚くべき愛で私たちに惜しみなく与えてくださいます。

だからこそ私たちも他の人への愛ゆえに惜しみなく与えることができるのです。

これもいつかやろうと思う大きなことではなく、今すぐにできる小さな行動からはじめましょう。

まずは30分だけでも一緒に時間を過ごす。お手紙を書く。食事をごちそうする。などで構いません。

以下の聖句から与えることは愛することであることを覚えましょう。

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。

それによって私たちに愛が分かったのです。

ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。

子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。

ヨハネの手紙 第一 3:16〜18

兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。

ヤコブの手紙 2:15〜17

惜しみなく与えることこそ私たちの喜びである

  • 私たちは与えることで乏しくなると感じるが、むしろ豊かに、そして自由になることができる。
  • 与えることは神さまから豊かに与えられた人の恵みであり、同時に敬虔な責務である。
  • 与えることは神さまに信頼し従うことであり、他の人を愛することそのものである。

私たちは自由になるためにお金を手元に残そうと思えば思うほど、むしろ不自由になっていきます。

しかし神さまに信頼していただいたお金を与えるほど、むしろ豊かに自由になっていきます。

この原則は私たちの感覚や考えとは大きく異なります。

そのためきちんと聖書からお金に関する原則を学ぶことは幸いだなと思わされました。

引き続きこの「聖書はお金について何と言っているか」シリーズが、お金に対して聖書の価値観を持つ助けになればと願っています。

何か1つでも益になりますようにと、心からお祈りしてます。

God bless you!

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聖書から価値観を学ぶためには、たくさん読む、より詳細に読むことがおすすめです。

与えられた相手が愛を感じる方法は、人それぞれ異なります。喜ばれる与え方を考える助けになるおすすめ書籍です。

この記事を書いた人
りょう

某都立大学院で化学専攻。大手企業で5年間最先端研究開発に携わった後、日立系IT企業で営業として活動中。

愛妻と娘の3人暮らしでホームスクール中。
将来は子ども食堂の運営、クリスチャンスクール、異世代間シェアハウスの設立を目指しています。

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