こんな疑問をお持ちの方におすすめの記事!
あなたは『クリスチャンホームの二世・三世の子どもをどう育てたらいいんだろう』と悩んでいませんか?
自分が大人になってから信仰を持った方は特に悩むでしょう。
なぜならクリスチャン一世の場合、そもそも自分がクリスチャンの両親から育てられていないからです。
そうなると生まれたときから神さまがいると信じる感覚や、その子が学校で感じるマイノリティー感・葛藤など、いくら想像してもわかりませんよね。
「幼稚園で食前の祈りをするのは辛くないかしら?」
「中学生になったら日曜日の部活はどうするんだろう?」
親には子どもに関するあらゆる悩みがつきません。
私もクリスチャン一世なので、その悩みはとっても共感します。
自分の子どもがどんなことを感じ、何を考えているか。
この点を親がよく勉強し、子どもを観察し、子どもの悩みや葛藤に理解や共感していかなければ、適切に対応していくことはできません。
もし最も身近な親が対応できないとなれば、子どもは自分1人で悩み続けなければいけない。
そしてその悩みが解決されない場合、教会やクリスチャンへの不信感につながることもありえます。
そのためクリスチャンホーム二世・三世の子どもたちが、どのようなことを感じ、考え、育つのかについて、とくにクリスチャン1世の親はよく知る必要があります。
そんな悩みを解決するにはこの記事で紹介する『ボクはこんなふうにして恵みを知った』がオススメです。
記事を読み終えると、二世・三世の子どもたちを育てる指針を得ることができます。
『ボクはこんなふうにして恵みを知った』の著者紹介
本書の著者は河村従彦さん。
イムマヌエル聖宣神学院卒業、アズベリー・セオロジカル・セミナリーで神学・宣教学を専攻。
その後、牧会しながら臨床心理学を学び人間科学の博士号を取得。
現在はイムマヌエル聖宣神学院学監、イムマヌエル聖宣神学院教会牧師とのこと。
他にもカワムラ心理相談室を運営され、キリスト教カウンセリングセンターのスーパーヴァイザーにも就任。
つまり牧師でありながら、臨床心理士としてカウンセラー。
学術的に体系立てて心身の成長について学び、実践的に多くの二世・三世の子どもたちと接した経験をお持ちです。
『ボクはこんなふうにして恵みを知った』の感想
本書を読んでみた感想を良かった点、もうすこし踏み込んでほしかった点でまとめました。
よかった点
著者の感覚論、経験論ではなく、根拠のある考え方を学べる点です。
なぜなら学術的な研究結果を元に考察されているからです。
もちろん著者の経験談でも含まれていますが、基本的には「◯◯の調査では〜」など調査結果や統計を元にアイデアを展開していました。
そのため読者の環境にも適用できる安心感がありますね。
もう少し踏み込んでほしかった点
一部の著者の主張にもう少し補足がほしかったです。
たとえば「一度教会を離れてまた戻ってくる方が良いときもある」など、大胆だなぁと思う主張もありました。
著者のいろいろな経験や知識からくる1つの主張ですが、パッと読んだだけでは直感的に受け入れづらい主張も。
ぐっと踏み込んだ主張がいくつもあって面白かったのですが、ギャップを埋めるためにもう少し補足があると受け入れやすいと思いました。
とはいえどの項目も学びが多く満足度の高い本だったので、ほとんど不満はありません。
なにか1つ無理やりあげるならこの点かなと。
二世・三世子育てのポイント
クリスチャン二世・三世の子育てにおけるポイントが随所にちりばめられている本書。
その中でも特に印象的だった3点を取り上げました。
一世と二世は違い、二世と三世も違う
一世と二世、また二世と三世で、信仰を持つ過程が異なります。
なぜなら親の状況も含めて、育った背景が異なるからです。
この点を親が認識していないと「信仰を持つには親のような体験をしなければいけない。」と不健全な姿勢になります。
聖書が語る信仰を持つこととは関係のない部分で、ひっかかりを覚えてしまいます。
一世と二世の違い
この違いはわかりやすいですよね。
クリスチャン一世は信仰などまったく関係のない世界で生きてきましたが、イエス・キリストに出会い大きな衝撃を受け、信仰を持ちます。
まさに人生が180度ひっくり返ります。
しかし二世にそのような世界観のパラダイムシフトはありません。
生まれたときから教会に行くのが当たり前だからです。
そのためクリスチャン二世がクリスチャン1世のような経験を求めても、ほとんど得られないのです。
実は二世と三世も違う
私が驚いたのは、クリスチャン二世と三世も信仰を持つ過程が違うということです。
なぜならクリスチャン二世は、一世である親の人生を目の当たりにするからです。
たとえば
など。
一方でクリスチャン三世は物心ついたときには、祖父母も含めて家族みんながクリスチャン。
信仰を持っていない人生とはどのようなものか、目の当たりにすることほとんどないのです。
この点でクリスチャン二世と三世において、伝道や神様へのイメージが異なってくるのです。
以上のような点から「私と我が子の信仰過程は異なる」ことを理解しながら子育てに取り組む必要があります。
霊的感覚と霊的経験の違い
子どもの霊的感覚と霊的経験を見極める必要があります。
なぜなら霊的経験こそ信仰や人格に大きな影響を及ぼすからです。
霊的経験とは「個人的に神さまについて深く知る経験」のこと。
霊的感覚とは「人格形成のプロセスで身につけた感覚」のこと。知識とも言いかえることができます。
霊的感覚は外部から学ぶ
霊的感覚を身につけた子は「クリスチャンはこんな言い方をする。」「教会ではこういう行動を取る人が多い。」などをよく理解しています。
これは親がクリスチャンの家庭で育つとき、豊かに身につきます。
小さい頃から親や兄弟姉妹が使う言葉や振る舞いをよく観察しているからです。
しかしこれは表面的な理解でしかなく、霊的感覚は人格を変えることも、生きる原動力にもなりません。
霊的経験は個人的なもの
一方で霊的経験は人格に大きな影響を与える重要なものです。
子どもなりに「神さまが祈りに答えてくださった。」「神さまが私の人生で働いてくださった。」など、神さまは居られると経験することは、信仰の成長や人格に大きな影響があります。
そして霊的経験は個人的なものであり、周囲がいくら伝えたところで得られるものではありません。
本人がみことばを聞き、本人が祈り、本人が気付かされるしかないのです。
このようにクリスチャンホームで育った子は霊的感覚を身につけているため、クリスチャンのような振る舞いや言葉を使います。
しかし実は救われていない、また救われていても心から腹落ちて話していない可能性が出てきてしまいます。
霊的感覚も大切なことですが、なによりも霊的経験を求めることが重要になります。
親はこの違いを理解して、よく見極めて接していく必要があります。
子どもが自立するプロセス
人は自立のプロセスにおいて、親の価値観にNo!と言う必要があります。
なぜなら1人の人間として新しい価値観を確立していくからです。
No!と言えるのは親の価値観を批評できるから
幼いときは両親の考え方や行動がすべて正しいと考えます。
もちろんまず親の価値観を学ぶことは非常に重要だからです。
しかし成長するにしたがい自分なりの考えを持ちます。
すると親を客観的に批評できる。
平たく言えば、親の考えにNoと言うわけです。
子どもはこれによって新しい自分の価値観を確立していくことになる。
自立が神様に向き合うポイント
この自立のプロセスが重要なのは、子どもが個人的に神様に向き合うために必要なことだからです。
子どもはそれまで両親や家族の価値観から神さまに向き合います。
いわば親の隣から神様を見ている感じ。
しかし親の価値観にNo!といい新たに自分の価値観を確立することで、自立した個人的として神さまと向き合うことになります。
こうして親から精神的にも信仰的にも自立し、個人的に神様との関係を深められるようになる。
自立はそのための重要な成長なのです。
No!が言えないと危険信号
しかし両親に対してNoと言えなくなる子がいます。
これは注意が必要になります。
なぜなら神様ではなく親ばかり見てしまうからです。
たとえば親の価値観があまりにも強い場合。
子どもは親との不協和音を起こさないようにと感じたことや考えを押し込めてしまいがちです。
いわば無理やり自己暗示をかける。
すると自分が正直に感じていない状態、感じること・考えることをやめている状態こそ、親に喜んでもらえるすばらしい状態だという心理操作を行う。
これは子どもの自立を妨げ、神様との個人的な関係を築く妨げになる良くない状態です。
No!と言っても安全であることを伝える
親は子どもが親の考えにNo!と言ったとしても、愛は決して失われないことを何度も伝えましょう。
子どもが親に対してNoと言わないのは、愛情を失うことを恐れているからです。
もちろん感情的になって親の権威に対する反逆があるなら、それには毅然とした態度が必要になります。
しかし親の行動や言動に対して、子どもが冷静に意見や考えを述べるなら。親はそれをしっかりと受け止めてあげましょう。
そして変わらず愛を注ぐ。
それにより子どもはNoを言うことで愛は失われないと体験的に学ぶのです。
子どものときに親から十分な愛情をもらえなかったという感覚を持っている人は少なくありません。
この「愛情のタンクが空の状態」は、教会内の人間関係を含めて、あらゆる関係に影響を与えます。
親はこの自立のプロセスを知り、子どものNo!に動揺しないで、自立のプロセスを支援していくことが大切です。
子育てに多くの気づきをいただいた
どのような親も子育てについて多くの助けを主からいただくことになります。
同時に私たち親も、聖書や先人たちから子育てをよく学ぶ必要があります。
クリスチャン一世の親にとって、二世となる子どもたちが持つ神様や教会への感覚は想像できるものではありません。
クリスチャン二世の親もまた三世となる子どもたちとは異なるのです。
この事実に夫婦で向き合い、信頼できる先輩に相談し、我が子に向き合い全力で愛していく。
それが神様に子どもを任せられた親としてやっていきたいことではないでしょうか。
私もまだまだです。一緒にがんばりましょう!
特にクリスチャン一世の親におすすめです。
子育てに必要な視点や知恵を広げてくれる『ボクはこんなふうにして恵みを知った』の紹介でした。
あなたの子どもへの理解が一歩でも進むことを心よりお祈りしています。
God bless you!
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親が聖書的な価値観を伝えることも重要ですが、子どもが個人的に向き合うことも重要。子どもが楽しく聖書の価値観に触れられるおすすめの絵本やアニメです。
子育ては夫婦で取り組むものですが、同世代の仲間がいるとさらに豊かな祝福があります。
先輩への相談に加えて、同じ境遇の仲間ともつながりましょう。