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教育業界改革の最先端をゆく工藤勇一氏と経済業界働き方改革の最先端をゆく青野慶久氏による、現代の教育現場における課題について対談が行われました。
両名ともに既存の枠組みにとらわれない新しい形の模索を実行している方々です。
この記事では教育と経済というそれぞれの業界で時代の最先端をゆくお二人の対談を通して、現代教育の課題とどのように日本の教育を変革していく必要があるのかについてご紹介します。
記事を読み終えると日本教育の課題と、どんな学校でも変わることができるという事がわかります。
課題1:学校の目的が学習指導要領をこなすことになってしまっている
学校教育の大きな課題の1つはその目的が本来あるべき姿からぶれだしているからです。
なぜなら現在の学校の目的は教育ではなく、学習指導要領をこなす事になりつつあるからです。
実際に工藤さんと青野さんも「社会人を育てようとしていない」学校の在り方について課題感を抱いています。
工藤:~しかし現在の日本の教育はこのことを押さえ切れていないのかもしれません。
そもそも学校が何のためにあるのかさえ忘れてしまっているように思います。
本来、学校は子どもたちに「人とつながり、社会の中で生きていく」力を身につけさせるためにあるはずです。
結果としてそれが、社会をより良くすることにつながっていくのです。
~
人が人とつながり、社会の中で生きていくためには、コミュニケーション活動や経済活動の学びが必要です。
でも今の学校は、これを忘れてしまっているように思います。
青野:確かに。「社会人を育てようとしていない」という感じがします。
工藤:今の学校は、社会から切り離され、特別な場所のように扱われているように感じます。
本来、コミュニケーション活動や経済活動を学ぶためにこそ、カリキュラムがあるはずです。
そして、学習指導要領はそのカリキュラムをコントロールするためにある。
しかし、私たち大人は勘違いをしてしまった。
学習指導要領をこなすことが目的になってしまったんです。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
本来社会人を育てるための学校教育であれば、社会が変化したら教育も変化するはずです。
実際に日本の教育の歴史を考えると、江戸時代の寺子屋にはコミュニケーション活動や経済活動につながる学びがなされてきました。
たとえば寺子屋で習う「読み・書き・そろばん」は、当時社会で経済活動を営む上で重要な要素を教えていました。
また寺子屋での学び方も現代の1vsN数の聴講型ではなく、生徒同士の学びあいが中心となっていました。
当時の寺子屋はそもそも現在のような一斉授業という形式はとっていません。
一斉授業だと、一定の品質の教えを大多数に広める事は出来ますが、生徒は聞いているだけなので能動的なリーダーシップは育ちません。
一方で生徒同士の学びあいとなると「この分野は僕が得意だから教えるよ」「ここはあなたに任せるから、代わりに私は別の部分をやるね」と1人1人が主体的にリーダーシップを発揮できるようになります。
自然と社会で活用できるコミュニケーション活動を行っているのです。
また教える事はアウトプットでもあります。
自分で学習しインプットした情報をアウトプットする事で、教える子どもにとっても習熟度を高める結果につながります。
結果インプットとアウトプットを繰り返すことで習熟度もあがり、学習効果が高まるでしょう。
今は寺子屋時代よりも生徒同士の学びあいが行いやすい環境と言えます。
なぜなら現代はインターネットであらゆる人が自宅でほとんどの情報に触れる事ができる時代です。
昔はお金が無ければ教科書など情報源に触れる事ができません。
そのため子どもが最先端の技術に触れるには寺子屋などを通して学ぶ必要があったのです。
しかし現代は子どもと大人に情報の格差がなくなってきた時代であり、大人の方があらゆる分野で子どもより精通しているとは言えない時代になっているからです。
子どもの学習意欲はすごいです。
子どもの方が大人より詳しいって、結構あります!
このように寺子屋は実際の社会を見据えて教育していました。
では現在の日本の教育はどうでしょうか。
学習指導要領が手段ではなく目的になっていないでしょうか。
学校とは本来現代の社会で求められているような考え方や能力を磨いていく場所であったのです。
しかし工藤氏は現代の教育現場の状況に警鐘を鳴らしています。
学校の目的が教育ではなく学習指導要領をこなす事となってしまっている点に対して。
課題2:数十年前から変更がない授業スタイル
現代教育の課題の2つ目は、授業スタイルに一切変更がないという事です。
技術革新により企業の事業や働き方は大きく変化しています。
というより、変化しなければ生き残っていけないのが現実社会ではないでしょうか。
もはやPCやインターネットを活用しない企業はどんどん淘汰される時代です。
しかし学校教育の学習スタイルは40年前からずっと変わらず黒板・先生・1vsN数というスタイルで変わりません。
青野:~教え方の論議はほとんどなされていないように思います。
私の上の子は小学校3年生なんですが、学校の様子を見てびっくりしました。
黒板があって先生がいて、みんな同じ方向を見ているという、40年前の自分自身の子ども時代と何も変わっていないんです。
工藤:おっしゃる通り、「現代にマッチしたカリキュラムは何か」ということは盛んに議論されているのですが、「どのようなスタイルで学ぶべきか」という議論はほとんど行われていませんよね。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
別に教員がPCとパワーポイントを使って授業したって構わないはずです。
子どもの学習スタイルで言えば、ノートをチェックする、誰が読むのかも分からない作文を書かせる、ほとんど誰も読まない新聞を修学旅行から帰ってきたら作る、などがありますよね。
もちろん多少の変化はあるかもしれませんが、大きな枠組みでは変化がないのです。
技術が発展して効果的なツールが増えているにも関わらずです。
麹町中学校ではプロジェクターとホワイトボードを組み合わせています。
海外では反転授業といって「ビデオ学習を自宅で行い、教室では不明点の質疑応答や生徒同士の学びあい」を行うスタイルも取り組まれています。
このように教育現場にテクノロジーを取り入れる事で、より効果的な授業を行う努力が実際に行われている事例もあります。
もちろん企業と同じように効率至上主義にする必要はありませんが、技術の進歩を取り入れてよりよい授業スタイルを追求していくことは、生徒の学習を助ける上で有益なはずです。
基本的に1vsNの授業形態である以上、生徒は授業をする教員のスタイルに合わせるしかありません。
パワーポイントの文字の方がきれいで見やすいなと思っても、教員が黒板に書く以上それを見ざるおえません。
理科など動画などビジュアルで直感的に理解できる方が分かりやすいと思っても、教員が教科書しか使わなかったらそこから理解するしかありません。(意欲の高い子は自分で調べるでしょうが!)
教員が積極的に新しい技術を取り入れ、より効果的な教材を探し、生徒にとって有益な授業にしていくスタイルの変革がなされていない事が、現代の日本の教育現場における課題であると考えられます。
課題3:指示やルールに忍耐・協力する事ばかり教え、自分で考え判断する機会がない
学校教育における課題は、自分で考え判断する機会が極端に少ない事です。
なぜなら先生からの指示、学校のルールに対して、忍耐や協力する事ばかりを教えるからです。
実際に工藤校長はその点を問題視し、麹町中学校では自律をキーワードに改革を進めました。
工藤:だけど教育現場では相変わらず、「忍耐・協力・礼節」ばかりを重要視しています。
もちろん教育にはこうしたことも大切なんですよ。
しかし、それ以上に重要なのが自律だと考えています。
自分で考え、自分で判断し行動できる力です。
麹町中では、宿題を完全に廃止しました。夏休みの宿題も出していません。
すでに分かっている範囲を何回も繰り返す必要はないんです。
分からないところに自分で気づき、それを分かるようにしていくことが勉強ですから。
~
もし大量の宿題を出されたら「僕はもう分かるから、分からないところだけやっていいですか?」と交渉できたらいいんですけどね。
青野:私は中学時代、実際にその交渉をしたんです(笑)。
~中学1年で覚えなければいけない漢字が300あったんです。
だから「あ、1日1字でいいんだ」と考えて、宿題でどれだけ出されようが、勝手に毎日1つずつ覚えていく方針にしたんですね。
簡単な漢字もあるから、ある日のノートには3つだけ漢字を書いて提出しました。
そうしたら、先生からものすごく叱られて(笑)。
私は合理的にやっているつもりだったんですけどね。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
さすがサイボウズCEOは違いますね笑
「もうわかるから、わからないところだけやっていいですか?」という質問をして叱られるのは辛いでしょう。
せめてわかっているのかどうか確認してほしいですよね。
このように麹町中学校では目的がはっきりしない事をなくしていきました。
形骸化した宿題や目的もなくやらされれていた習慣を廃止していくのです。
そうして空いた時間を「何のため?」「誰のため?」を考える訓練に充てる事ができるようになります。
工藤:教育現場ではそうした場面がたくさん見られます。
これでは、何も考えない人間を育てることにつながってしまいます。
~
今までの日本の教育は、「目的が分からなくてもまずは言うことを聞け」というような感じです。
そうやって育った人は、会社に入ってから「おかしい」と感じることがあっても、自分の力で改善しようとは思えないのではないでしょうか。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
学校では「このルールは何のためにあるのか」を説明せずに「ルールだから守りなさい」と教えます。
「協力するかどうか自分で考えて選ぶ」のではなく「協力しないなんて問題がある子」とみなします。
「ルールだから守りなさい」という姿勢を教える事は非常に重要です。
理由を説明してもわからない年齢の場合は「ルールだから守りなさい」と教えるのは大切なことです。
そのルールを守ることで、その子自身が守られているのです。
しかし理由を説明してわかる年齢になっているにもかかわらず、中学生になっても高校生になっても「ルールだから守りなさい」では、大人になっても自分で考えるのではなく、人の言うことを守る人にしかなれません。
学校教育における課題は、指示、学校のルールに対して、忍耐や協力する事ばかりを教え、自分で考え判断する自律を養えないことにあるのです。
現実社会が求めている人財はすでに変化している
経済活動を担う企業では、すでに新しい時代を生き抜くための人材を求めています。
なぜなら時代の変化とともに必要な能力が変わってきたからです。
企業はもう「組織の中で我慢しなさい」という教育を求めていない
今までの時代は「決められたゴールに向かって、いかに早く、いかに多くを行えるか」が重要だったので、ルールを守って迅速にゴールに向かう事が重要でした。
しかしこれからの時代は決められたゴールすらわからない時代です。
そのため「このルールは何のためにあるのか?今も必要か?なかったらどうなるのか?」と物事の重要な部分を自分で考え、行動していく力が必要になってきます。
おかしいと思う事を自ら変えていける人が、これからの時代に求められている人です。
実際企業はもう「組織の中で我慢しなさい」という教育を求めていません。
その様な人しか雇えていない企業は、もう生き残っていくことができないからです。
青野:経済界はかつて、工業化社会の中で「会社の言うことをよく聞く勤労者をたくさん育ててほしい」と考えてきました。
でも、これではもう会社が生き残れない。
「もっと自律的に動く若者を育ててほしい」という声が高まっています。
「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらないんですよ。
工藤:実際に経営者の意識は変わってきていますか?
青野:そう思います。
サイボウズでは、かなり自由度の高い環境で社員に働いてもらっています。
10年くらい前は「そんなことをやっている会社はうまくいかないだろう」と見られていました。
でもサイボウズの業績が伸び続けていることで、「もしかしたらあのやり方がいいのか?」と世の中の見方が変わってきた。
大企業の経営者からも「やり方を教えてほしい」と声がかかるようになったんです。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
サイボウズは働き方を初め先進的な改革を推し進めてきました。
そして社員1人1人に自立を求めていったのです。
それゆえ多くの「忍耐・協力・礼節」を重んじる企業、つまり「会社の言うことをよく聞く勤労者をたくさん育ててほしい」企業からは冷ややかな目で見られていたのです。
しかし結果はどうなったでしょうか。
今ではその冷ややかな目で見ていた大企業の経営者からも働き方の改革について声がかかるようになったのです。
自立を社員に求めた企業が結果を出し始め、次第に大企業の経営者も考え方が変わり始めました。
このように「会社の言うことをよく聞く勤労者をたくさん育ててほしい」という要望に応える現代教育を受けて育った子どもたちは、「自律的に動く若者を求める社会」に出ていきます。
社会に出たとたん、今まで学んできた姿勢ではなく全く逆の考え方や行動を求められるようになるのです。
社会構造や経済構造が大きく変わっていく時代
これからの時代は子どもたちに求められる力が過去の時代と変わってきています。
なぜなら社会や経済の構造が技術革新や時代の変化に伴って変わってきたためです。
実際経団連会長は「これまで行ってきたような終身雇用はいつまでも守れない」と発言しています。
これまでの時代は過去30年間は高度経済成長の中「命じられたことをできるだけ長い時間働いて早く多くこなした人材」が評価されてきました。
また社員も会社の命令に逆らわず、一生涯1つの会社に仕えていくことで終身雇用という安定を手に入れていました。
しかしこれからの時代は構造そのものが変化していきます。
忍耐・協力・礼節によって1つの企業、1つの人間関係の中で勤め上げ続ける事が求められるのではありません。
新しく求められる力のは、自らの意志で起業したり、状況に合わせて自由に転職したりできる力が求められる時代になっていきます。
日本のあらゆる学校現場は、決断すればいつでも変わることができる
以上が現代の教育は変化した社会構造や企業の要求に対応しきれていないという課題になります。
それゆえ教育現場の改革が必要と考えて工藤校長は教育を変えてきました。
しかし
こういった教育改革は一部の優れた学校だけ、人だけができるんでしょ?
という疑問もあるかもしれません。
でも実際そういった制約はありません。
全ての学校が同じような形になれなくとも、どんな学校でも改革する事ができます。
なぜなら麹町中学校は文部科学省の学習指導要領に準拠した公立中学校だからです。
私立で制約がないからとか、学習指導要領を逸脱しているから、とかではありません。
また麹町中学校以外にも教育改革に取り組んだ公立中学校があります。
長野市立東部中学校は麹町中学校を参考に学校の教育改革を推し進めています。
青野:でも工藤さんのお話を聞いて希望が持てました。
私は「教育を根本的に変えなきゃいけない」と思い込んでいましたが、今あるものを、目的を意識してちょっと変えるだけでも相当良くなるということですね。
工藤:そうですね。学校改革は実はとてもシンプルなものなのかもしれません。
青野:今の教育を全否定する必要はないんですね。
上位概念の目的から落として再設計していくだけで、しっかりワークするのだと。
工藤:従来の教育の中でも青野さんのような人物が育っているわけだし、そんなに悪いわけではないのかもしれません。
大切なのは「先生の言っていることは本当に正しいのかな?」「この仕組み、何かおかしくない?」という疑問を持って、何のためにやるのか、誰のためにやるのかを考えられる子どもを育てることなんでしょうね。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14008
これは大きな希望です。
自由だから、都内だから、校長がすごいから、生徒のレベルが高いから、お金があるから。
そういったリソースの制約があるわけではないのです。
どんな学校も、どんが状況でも、教育を変えようという決断があれば変える事ができます。
麹町中学校のように先陣を切った学校を訪問してもいいでしょう(長野市立東部中学校は訪問したそうです)。
子どもたちに「これからの時代を生きるために必要な力」を伝える教育がなされるかどうかは、環境によるのではなく、変えていこうという決断なのだと思うのです。
私はどんな学校でも変わることができるということは、これからの社会にとって大きな希望だと心から思いました。
変化する事が正しいわけではありません。
でも変化が必要な時に変化できないと、大きな痛手を負う事もまた事実です。
変化が必要な学校があるのなら、ぜひ変化していってほしい。
それこそが子どもを預ける親の期待です。
そしてそれこそが子どもを預かる学校や教員の責任なのではないかと思いました。
まとめ
私個人としては、現代社会はすでに求めている人財が変化している事も印象的でした。
学校がいくら変わらなくとも、そこを卒業していく子どもたちが出ていく現実社会はどんどん変わっていくのです。
もっと多くの公立学校が「自分たちの生徒を社会で通用する人財に教育する」という目標を見据えて、枠組みを変えていってほしいと感じました。
変われるかどうかは、決断するかどうかだけなのですから。
あなたはどう感じたでしょうか。
麹町中学校のような教育改革を行った学校に自分の子どもを入学させたいですか?
それとも普通の中学校でしょうか。
それともホームスクールでしょうか!笑
1人1人の子どもに合わせて、子どもを最もよく知る親が悩み子どもと相談し家族で選んでいきたいですね。
God bless you!
麹町中学校紹介シリーズ
麹町中学校の改革について紹介したシリーズです。
②【教育改革】麹町中学校が学校のあり方を変える!子どものための学校改革
③【教育改革】固定担任制を廃止して全員担任制に!麹町中学校の取り組み
④【教育改革】定期テストを廃止!?子どもの自律を目指す麹町中学校
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「現代の学習範囲は広くなりすぎて、多くの子どもが1年後にはほとんど何も覚えていない」という事実から、学習指導要領をこなすことをやめ、N高等学校やゼロ高等学院のようにプロジェクト型学習を取り入れた学校です。